唐津線3駅探検その1 - 厳木駅

まえがき

私がTwitter (X) で折に触れて言及するJR唐津線は、佐賀県内を南東-北西方向に走り、県庁所在地である佐賀市と、県北部の主要な都市にして佐賀県下第二の街・唐津市を結ぶ鉄道です。

私の母が唐津線沿線の佐賀県小城市出身で、私も小さい時から祖母が96歳で大往生した2020年まではよく小城を訪問していました。基本的には自宅から家の車で往復していましたが、たまに自分だけ別行動でJRを使って祖母宅に行く時に唐津線を利用していました。

唐津線との縁はもうひとつあり、51年前に60歳で亡くなった母方祖父が国鉄職員として福岡・佐賀のいくつかの駅の係員を務めており、とりわけ地元の唐津線での勤務が長かったと聞いています。今回は、祖父が勤務した駅2駅(中多久なかたく厳木きゅうらぎ)と、今まで通り過ぎるだけだった山本駅で下車して駅を見て回りました。

第1回目は厳木駅です。

訪問ルート

唐津線内で乗降した区間だけを示します。駅めぐりには『旅名人の九州満喫きっぷ』1回分を利用しました。

列車番号時刻車両(右側が西唐津方)
5831D佐賀(11:02)→厳木(11:40)キハ125-8 + キハ125-4
5832D厳木(12:18)→中多久(12:29)キハ47 8132 + キハ47 8157
5833D中多久(12:52)→山本(13:24)キハ47 8134 + キハ47 8062
5836D山本(13:59)→小城(14:42)キハ47 9126 + キハ125-7

厳木駅

厳木きゅうらぎ駅は難読駅のひとつとして鉄道ファンに知られています。この駅は祖父が勤めていた駅のひとつです。1971年(昭和46年)10月20日、厳木駅が業務委託駅化された日から1973年(昭和48年)4月に亡くなる直前までの約1年半、駅長(祖父自身による記録では『駅務長』)を務めていました。

※写真をクリックすると拡大できます。

厳木駅を発車する5831D

佐賀から乗ってきた列車を見送ります。黄色い少々小ぶりな車両・キハ125形の2両編成でした。

厳木駅を発車する5831D(給水塔とセット)

上りホーム(自動放送の案内では2番乗り場)の脇には、1926年(大正15年)に建設された煉瓦作りの給水塔があります。多久へ向けての笹原ささばる峠越えのため、蒸気機関車に水を補給していました。

給水塔の脇にはヒマラヤザクラが2002年(平成14年)に植樹されています。春には列車・給水塔・桜をからめた写真が撮れます。年数回程度、地元の取り組みとして給水塔がライトアップされるイベントが行われているようです。

厳木駅駅舎(ホーム側から)

駅舎をホームの佐賀方から見ます。イラストのない文字だけのタイプの駅名標が取り付けられています。

厳木駅駅舎内(出札窓口跡・改札口跡)

駅舎内の出札窓口(きっぷ売り場)跡と改札口の跡です。窓口が塞がれて久しく、板がだいぶ古くなっています。その部分に発車時刻表と運賃表が掲示されています。改札口跡の部分にはかなり古い集札箱がありますが、現在の唐津線の列車では運転士または車掌が必ず集札業務を実施するため、この箱が使われる機会はなさそうです。

厳木駅出札窓口跡内部

出札窓口(きっぷ売り場)内をホーム側から覗き込むことができました。50年前には祖父もここで出札などをしていたのでしょう。国鉄時代末期の1983年(昭和58年)9月30日に無人駅となり、おそらくそれ以来使われていないと思われます。中は写真の通りお世辞にも綺麗とは言い難い状況ですが、それゆえ当時の調度や掲示が少し残っているのかもしれません。

厳木駅時刻表・運賃表拡大

時刻表はJR九州の標準形のものです。1時間~1時間半に1本、朝夕はそれにプラスされる感じです。唐津方面は一部時間帯が平日と土休日の欄に分かれていますが、時刻に変更はありません。筑肥線の姪浜・筑前前原方(運転上使われる略称は『筑肥東線』)からの列車のダイヤが平日と土休日で大きく変わる時間帯があるため、そちらとの兼ね合いにより、西唐津まで行くか、唐津止まり(唐津から回送で西唐津駅のホームの無い着発線に入り、唐津車両センターに入庫)となるかが変わります。

運賃表は運賃計算キロ(唐津線内は擬制キロのみ、他線区は営業キロとの合計)50km以内となる950円の範囲が表示されています。

厳木駅略史プレート

改札口跡の右手には駅舎と給水塔に関する歴史を解説するプレートが取り付けられていました。

厳木駅駅舎全景

駅舎を外から撮りました。建物本体は1930年(昭和5年)に建てられ、後述の略史プレートによれば駅務室の部分は改修が入っているとのことです。

駅舎の向かって左側の一部は、かつて1995年(平成7年)3月に設置された「ギャラリー 風のふるさと」というスペースになっていました。閉鎖後長らく放置されていたようでしたが、2016年から地元のまちづくり団体『きゅうらぎデザイン』さんの取り組みにより清掃と修繕が実施され、現在はイベントスペースとして利用されています。直近では先月20日・21日に『厳木駅ちっちゃなびじゅつてん』というイベントが開かれていたようです。

厳木駅前自転車駐車場

駅前には自転車駐車場とお地蔵様、新しい公衆トイレと公衆電話ボックス、奥には利用客向けの無料駐車場もあります。唐津市設置の立て札によれば、駐車場は通勤時の列車乗り継ぎ利用を前提としたスペースということになっており、レジャー利用は目的とはしていないようでした。

自転車駐車場の方も唐津市かJR九州管理かと思いきや、なんと国土交通省九州地方整備局(佐賀国道事務所唐津維持出張所)の管理でした。駅前の道はかつて国道203号で、2018年(平成30年)4月1日に国道203号厳木バイパスに並行する区間が佐賀県道350号相知厳木線に指定替えとなっています。

昭和バス厳木駅前バス停(多久・小城・佐賀方面)

自転車駐車場の付近には昭和バスの厳木駅前バス停があります。唐津(大手口)と佐賀駅バスセンターを結ぶ、全長50kmにも及ぶ九州島内屈指の長距離一般路線である唐津-佐賀線が通っています。駅側が多久・小城・佐賀方面、道路を挟んで反対側が山本・唐津方面の乗り場です。このバス停は唐津市が実証運行(2023年8月1日~2024年3月29日)し、昭和バスが受託している予約型乗合タクシー「チョイソコからつ」の乗降場所のひとつとなっています。事前登録が必要ですが、登録すれば誰でも利用できるそうです。ただ、平日の日中限定の運行のようです。

唐津-佐賀線は唐津市街と小城発着所~佐賀駅バスセンター間では駅とバス停が離れて大回りしていますが、鬼塚~東多久間では線路とほぼ並走し、各駅前にバス停があります。唐津線の列車は最高速度85km/hで走るため速度面ではかないません。本数も唐津線より少なめですが、交通系ICカード「nimoca」が使え、5%分の乗車ポイントを大盤振る舞いしてくれます。

2024年2月1日からは、スマートフォンアプリ「my route」上でフリーパス「から1DAYフリーパス」「から2DAYフリーパス」が発売され、唐津市内区間(笹原峠バス停以西)で使えるようになりましたので、行先により適宜選択できます。

厳木駅信号機器室(ハット)全景 厳木駅信号機器室銘板

駅構内に戻り、駅舎の隣(唐津方)に小さめの建物があります。銘板には「連動・閉そくユニット」とありました。厳木駅が列車交換(すれ違い、行き違い、九州特有の表現では『離合』)可能駅であることから、信号制御に用いる連動装置や、閉塞の制御を行う閉塞装置が収められているものと思われます。

ちなみに、このような小屋サイズをした機器収容建屋を「ハット」(Hut) と称します。英語の「小屋」を意味する単語そのままですが、この呼び方は鉄道信号業界くらいでしか見ません。

厳木駅下り(唐津方面)4両停止位置目標

下り唐津方面の線路にある、4両編成の停止位置目標です。なんだか、Microsoft Wordで図形を描いた後、その内側にテキストを追加できる機能でテキストを追加したものの、いくらやっても思った通りの文字中央配置にできなくて諦めたのを思い出させる、落ち着かなさマシマシの数字配置です。奥にある国鉄末期~JR初期に立てたと思われる停止位置目標の美しい数字配置と比べるとなおさらゾワっときてしまいます。

この停止位置目標は、唐津線の最大運転両数が4両になって以降に、跨線橋の階段の口に先頭を持ってくるために新設したものと思われます。これが無い場合は、4両編成であってもその先の「◇6」(機関車牽引列車以外に対する最大6両の停止位置目標)に合わせて停めることになります。

3枚目の写真に写っていますが、2両で運転される大部分の列車や、地味に2往復だけ存在するキハ125形単行運転の列車に対する停止位置目標「◇2」は駅舎出入口正面に先頭が来るように設けられています。

厳木駅貨物側線跡

駅舎・信号機器室の唐津方には広大な敷地があり、草に埋もれた線路があるほか、レール等の資材が置かれています。駅舎にあった略史やこの後紹介する記念碑によるならば、ここがかつて石炭やみかん、砥石、パルプ材を各地へ積み出すための貨物輸送設備があった場所だと思われます。

厳木駅跨線橋より唐津方を望む

跨線橋の上から唐津方を眺めます。昔の名残で着発線有効長が大変長くなっています。写真中央やや左に、唐津方面の列車に対する「◇7」の停止位置目標がありますが、その先の横取装置(信号機の手前で左手に線路が分かれているように見えるところ)まではまだ60mほど余裕があります。地図上でおよその距離を測ったところ、下り線の有効長(佐賀方の編成後部限界から出発信号機まで)は約230m(20m級11両分)、もし信号機を限界まで遠くに立てたならば約290m(20m級14両分)は取れます。

厳木駅跨線橋より佐賀方を望む

今度は佐賀方を眺めます。こちら側も出発信号機が結構遠くにあります。開けている唐津方と異なり、こちらは山が目の前に迫っています。

上り4両停止位置目標 上り5両停止位置目標

上り佐賀方面の4両停止位置目標は下りと違って数字がきちんと真ん中に来ていますが、やはりゾワゾワする感があります。おそらく既存の停止位置目標と違って数字がやや細くて見慣れないからかもしれません。

5両編成の停止位置目標は安心するフォントです。4両停止位置目標の設置以降、ここに頭を揃えて発着する列車は長い間運転されていません。

上りホーム列車後部目標・125-3 上りホーム列車後部目標・125-4

今度はホームの思いきり唐津方、佐賀方面の列車だと最後部の方へ行きます。ホームに『3 / 125』、『4 / 125』という標示があります。これは車掌が乗務する3両編成以上の列車に対する、列車が所定の停止位置に停止したかどうかを車掌が確認するための目標です。

標示はそれぞれ「キハ125形3両編成の最後部位置」「キハ125形4両編成の最後部位置」を示しています。停車時にこの標示が車掌位置よりも後方に来てしまった場合は列車がオーバーランしているため、運転士との打ち合わせによりドア開閉を実施するか停止位置修正を行うかを決定することになります。

実運用上、キハ125形だけで3両編成や4両編成を組むことは稀で、だいたいの場合は車体長がより長いキハ47形が最低1両は入ります。その場合は、車掌位置より前方にこれが見えていればオーバーランはしていないことが確認できます。

厳木駅全景(唐津方から佐賀方)

もっと唐津方、ホームの端から駅構内を見るとその大きさがよく分かります。写真右端には草に埋もれた手動転轍機(この写真のような錘付の転轍転換機は『ダルマ』と通称します)があります。

そこから線路を挟んで左側にはソーラーパネルらしきものが取り付けられた箱が立っています。何らかのモニタリングを実施する機器かと思われますが、ホームから見える側に銘板等が見えなかったため詳細は不明です。

厳木駅給水塔1 厳木駅給水塔2

厳木駅を最も有名にしている建造物である蒸気機関車への給水塔を拡大して撮りました。1926年(大正15年)に作られたものが残っています。普通は厳木駅を紹介する時にはこの1枚だけ出てくることが多いのですが、当記事ではそこまでに21枚も載せて長文もくっつけてしまいました。

手前のヒマラヤザクラが咲くとより華やかになりそうです。

厳木駅植樹記念碑

給水塔の傍らにはヒマラヤザクラの植樹記念碑が立っています。当時の厳木町の町政50周年を記念し、2002年(平成14年)5月3日に植樹されたとの記述があります。樹の寄贈者は地元の個人の方、記念碑の寄贈者は『関東厳木会』という団体であるとも書かれています。

記念碑にはさらに唐津線の略史と給水塔の諸元が記されています。

  • 唐津線における蒸気機関車列車の運転終了:1973年(昭和48年)10月1日
    • Wikipedia記載の情報・交通新聞1956年(昭和31年)5月9日号によれば、旅客列車の気動車化は1956年5月15日
  • 給水塔名称:機関車給水柱(立管式B型)
  • 給水槽仕様:鉄板造 容量約13.5m3
カラー駅名標1(ロマンシング佐賀仕様)

最後に、カラーイラスト入りの駅名標を紹介します。こちらはスクウェア・エニックスのRPG「サガシリーズ」(『ロマンシング サ・ガ』など)とのコラボレーションキャンペーン「ロマンシング佐賀」の一環として設置された、ドット絵(ピクセルアート)風に駅のシンボルイラストとキャラクターイラストが描かれたものです。下り唐津方面のホームにあります。

Wikipedia記載のエピソードによれば、コラボレーションへの意識は、スクウェア側はシリーズ初回作が出た5年後(1994年頃)から、佐賀県側はその10年後の2004年頃からお互いを意識していたそうです。初回タイアップ企画はさらに下った2014年(サガシリーズ開始25周年)に始まりました。

カラー駅名標2(通常仕様)

こちらは従来より設置されている、駅のシンボルイラスト入りの駅名標です。上り佐賀方面のホーム、待合スペースの唐津方にあります。

上り佐賀行普通列車(キハ47)接近

駅到着から40分ほどで上り佐賀行の普通列車(5832D)が来ましたので、これに乗って次は中多久駅へ向かいました。